地頭のいい子VS大人の操り人形の子
子どもの学校の運動会に行って、観戦もそこそこに井戸端会議をしてきました(^^;) 今回はPTAの任務も何もないので、写真撮影も控えめに、楽しく過ごしてきました。
高校のお母さんたちとはあまり会えないので、貴重な情報交換の場です。そこで盛り上がった話をひとつ…。
勉強をする動機
子どもによって、地頭で興味本位で学ぶ子と、言葉は悪いですが、大人の操り人形の子がいるという話になりました。
当然ながら、完全にどちらかに分かれてしまうわけではなく、一人の子でも、それぞれの側面を持っていると思います。
地頭のいい子
大人がお膳立てしなくても、自分がおもしろいと思う分野を見つけ、短期集中で極めるタイプ。
このタイプは、興が乗ると、周りが止めても突き進むパワーを発揮します。でも、火がつかないと、なかなかやる気が出てこないのが、大きな欠点です。
叱ったり、持ち上げたりしても、なかなか親がスイッチを押すのは難しく、親としては本当にヤキモキさせられます。
この手の子たちは、中学くらいまでは全力で学校の勉強したことが少ないのでは? 高校受験まではそれでいいかもしれませんが、大学はしっかり腰を据えてやらなければ、合格はできないと思います。
進む分野を選ばないと、社会に出ても、嫌いな仕事には集中できずに上手くいかないかも。そのくらいになれば分別もつくから我慢できるのかも…。とにかく、親に心配をかけそうなタイプです。
大人の操り人形の子
成績のいい子たちを見ていると、親が二人三脚または一身同体で勉強に取り組んでいる例をよく見かけます。「よく」です。
私が子どものころは、進学校で親がかりの子は少数派でした。親の影響を受けているとすれば、「頑張っている親の背中を見て、目標を高く持つ動機付けになった」というのが多かったように思います。
「操り人形」の子は、「いい子」が多いです。
決められた課題や宿題は、「こんなもの役に立たない!くだらない!」と感じても、きれいに仕上げて、内申点もばっちり。幼稚園に入る前から、音楽、書道、スポーツの習い事をしている子が多いです。
親は前に立って自分の背中を見せるのではなく、後ろから子どもを支えたり、抱きかかえたりして、立ち位置が子どもの後ろになっている印象を受けます。
操り人形の子の方が、深く悩んだりしないので、地頭はそれほどよくないのに、淡々と一定のペースで勉強を続けて、成績もいい場合が多いです。
「こういう子は高校になったら潰れてしまうのだろう」と以前は思っていましたが、実際にわが子が高校生になって、周りを見てみると、操り人形の子の方が、好成績を維持して、T大や国立大医学部に進んでいます。
地頭任せの子は、成績にムラができて、希望の大学には行けない話も聞こえてきます。
マスコミでも操り人形を礼賛?
少し前に、理Ⅲにお子さんを三人入れたお母さんの本が話題になりました。
私も発売早々、買ってしまいました(^^;)
お母さんが二人三脚で勉強し、テキストやプリントの管理や、学校のカバンの中身まで、子ども本人ではなくお母さんが管理されているというご家庭でした。
ご本人を存じ上げないので勝手な推測ですが、社会で長く働くことなく母親になられたので、「学歴=成功」という、大学生ぐらいまでの思考を持たれたまま親になった方のような気がします。
社会に出て、学歴が必ずしも万能ではないことを自分の肌で感じれば、「勉強や学歴のために子どもに余計な負担をかけない」という発想は出てこないかも…。
「余計な負担」を子ども自身がやることで、生活能力も出てくるし、仲間と力を合わせる術も知るだろうし、感謝の気持ちも出て、後に人の上に立った時にも、下の人を思いやれる人になって、ひいては、いい仕事を成し遂げられるのでは…。
ご近所にも、操り人形の優等生がたくさんいます。お母さんは、ある意味人形使い兼お手伝いさん。子どもたちは、お母さんの誘導や下働きがあっての実績なのに、根拠のない万能感を持っていて、謙虚さに欠けているような気がします。
女性の地位向上とか言っている時代に、これでいいのかと感じてしまいます。
マルチな操り人形たち
成績も優秀で、ピアノもコンクール入賞レベル、運動部のエースや生徒会…という子がよくいます。
直接話をしてみると、相手に配慮できる立派なお子さんです。そこら辺の悪ガキたちとは全然受け答えが違います。
悪ガキたちは子どもの集団に揉まれて育ちますが、こういうマルチな子たちは、大人に守られて、大切に囲い込まれて育った印象です。
ある意味、子どもよりも大人とのつき合い方の方が上手なのかもしれません。この手の子たちは、学校でリーダーの役割を与えられていることが多いですが、これも、先生の力をバックにした支配であって、子どもたちに慕われて担ぎ出されたリーダーではないのかも。
お母さんのリベンジ?
近所の操り人形の子のお母さんたちを見ていると、「自分は短大だったから。旦那の学歴がいまいちだから。絶対子どもには高学歴を!」というリベンジしたい気持ちから突き進んでいる人が多いように思います。
ものすごい執念のお母さんもいます。
みんな、小さいころからお勉強主体の生活で、わが子に害を与える子は切り捨ててつきあわない。どこに行くのも車で送迎。小中学校にも車で送迎するお母さんもいます。
いいのかな~? 怖いな~。
そういやって育った子たちに、わが子たちが将来社会に出てから支配されるのだとしたら、ぞっとします。
地頭任せの自由人にもチャンスを
優等生ではないけれど、天才肌の子というのは、どの学年にも必ずいます。
そういう子たちは、小中学校の評価が「難問よりも計算問題」的な学習に限定されてしまうと、行き場を失って潰れます。もったいないことだと思います。
公立中学校では、こういう子たちを適切に導けるほど知識や経験のある先生は少ないかもしれません。(私の子ども時代やわが子の学校を見ていて)
例えば、科学の甲子園や数学オリンピック、ディベートなどの知的遊戯を学校生活に取り入れるのはどうでしょうか?
でも、しかし! 現状のこれらの知的遊戯は、操り人形型の優等生が先生に勧められて取り組んでいるところが多いかも。
こういうものこそ、アウトローの天才肌の子にやらせるものではないかと思っています。
おしまいに
わが家は転勤族だったこともあって、地域偵察もかねて、子どもが赤ちゃんのころから、いろんな機会を見つけて、わが子や近所の子たちにつきあってきました。
大人がついている安心できる環境があると、近所の子どもたちがたくさん集まってきます。子どもが大きくなったら、スポ少や部活の世話係。
親ではなく子ども自身に積極的に話しかけて、仲良くなるのがモットーです。
ある意味、無料の託児所みたいで、他人から見たらバカみたいでしょうが、そういう経験から、操り人形なんかのことを常日頃から感じ、わが子たちについても危機意識を持って接するようになりました。
操り人形の親子は、こうしたオープンな場には出てこない人が多いです。わが子第一ですから、よその子に巻き込まれるような環境に、わが身もわが子も置きたくないのでしょう。お子さんが来たがっても、阻止する人もいました。
操り人形の子たちが、学校で高い評価を受けて、常にリーダーとして振る舞い、成長したら高学歴な社会人になって社会を牛耳るようになったら…どうなるんだろう…。
という、田舎のおばさんの杞憂とヒガミのお話でした。
↓ この本、文庫になっていました。
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